俺は泣かない。我慢出来る。貴方に面倒な奴だと思わられたくないから。貴方といつまでもー
「そろそろ都会とか出てみたら?」
そう言われた時、俺は正直数秒間話に追いつけなかった。何で? 俺何かやらかしたっけ。
「行かないって言っても行かせるつもりだけど。」
食器を持った手が震える気がした。もちろん嫌だよ。嫌に決まってる。でもそう言わなかったのは、愚かな俺の優柔不断さと、貴方の決断に満ちた口調のせい。その日から俺をここから出させる計画は着々と進んだ。
腹ん中がざわめいて口が固まる。手元の荷物も鞄の中の金貨も嬉しくない。
「…行ってくる。」
「いや、行ってくるじゃない。戻って来るなよ。」
じゃあ昨夜のキスの意味は何だったの。そう聞きたいことをぐっと飲み込む。嫌われたくない。鼻先がずきずきする。
適切な挨拶を思い出せず、そのまま貴方に背を向ける。そう、いつか帰って来られるかも知らない。前向きに考えようとしても、貴方の言葉が頭を離れてくれない。戻ってくるな。
視野が一瞬でぼやける。驚いて息を呑むが既に手遅れだった。涙腺が崩れてしまう。久しぶりに涙を浴びる頬が動揺する。口元が歪んでいく。一度だけ、俺の我儘を受けてくれはしないだろうか。身を回す。
「本当に俺を捨て…るの? ....いつか、俺を探してくれるの? 俺が戻って来たら、受けて、」
その時、貴方は俺を押し出した。
「断じてそんなことはない。」
心臓が痛くて死にそうになる。泣き止もうと唇を噛み締める。
「行ってよ。振り向くと殺すぞ。」
言う言葉も無いくせに口を開けてみるが、貴方は日向に手を差し出した。綺麗に伸びている指が焼け始める。驚いた俺をものともせず、貴方が唇を動かす。鋭く細められた瞳孔が光った。
「もう一度だけ言う。行け。殺す前に。」
死ぬことなど怖くない。でも貴方がそうしろと言うのなら。俺は泣きながら歩き去った。
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数年は言われた通り頑張った。人の生きる街に根を下ろすことを。難しいことではなかった。俺は優しい人になって、皆と仲良く過ごした。大丈夫だった。隣人の紫色の髪を持った少年が死体に発見される前には。首のところに穴が2つ空いてあった。
『吸血鬼の仕業だ』
その噂を耳にした時、俺は忘れようとした貴方を思い出してしまった。一緒に食事を取ったことのない貴方。昼には会えなかった貴方。白い肌の貴方。鋭い瞳孔の貴方。日光に当たると、焼け落ちていた貴方の手を。頭の中でパズルが揃った気がした。
翌日、街に調査に来た吸血鬼狩り達に頭を下げながら同行を求めた。貴方をもっと知りたい。貴方には俺の全てを見せたのにずるいと思った。そんな可愛い感情じゃないことは分かっているが。
数日も経たず犯人の吸血鬼を見つけた。吸血鬼狩り達は熟練した腕で吸血鬼を処理した。銀の武器、犬歯、火、灰。貴方に関する知識が増えることが楽しかった。そこをそうやったら死なないんだな。これほどの傷は数分で治るんだな。7人目の吸血鬼を葬った時、やっと俺は貴方に戻ってもいいと感じた。
吸血鬼狩りの仲間達と別れ貴方の邸宅へと走り出した時、俺の心は嬉しみに満ちていた。貴方に会える! ずっと一緒に居られる! 思わず声を出して笑ったっけ。
翔は本を閉じた。そろそろご飯の時間だった。備えて置いた短刀を持って、千真の部屋に向かう。形式的にノックをして、返事もないのにドアを開ける。暗い部屋の中をろうそくで照らして見ると、内部はどれも高そうな高級品で出来ている。5人は使えそうなベットに目を置くと、愛しい貴方が俯いている。ベットの隣にあるテーブルにろうそくを置く。
「こんばんは、千真。良い夢は見たかい?」
ベットに座りながら挨拶をしても、ビクッと貴方は身を震わせるだけだ。腹が減ったからかな。袖を捲り傷だらけの腕に短刀を当てる。
「わあっ、落ちる、落ちる! 千真早く!」
少し荒っぽく千真の口に腕をだすと、不機嫌そうに睨みついては舌を動かす。千真に自分の腕を持ちさせて、釘が刺されている足首と肩の具合を見る。戻った初日に銀の釘を付けといたせいで数日間血が止まらなかった。でももう大丈夫そうだね。微笑みながら足首のところを手で軽く撫でる。
「はい、今日はこれでお終い。」
千真を腕から離させる。足りなさそうな顔をしても仕方がなかった。これ以上飲ませてしまったら俺の手に及ばなくなる。傷口を包帯で巻く。ろうそくを手にして千真のおでこに口づける。今日も一緒に話してくれる気分じゃないらしいから、読んでいた本持ってくるよ。そのつもりだったのが、ろうそくの火が揺らぐ千真の目を見て気が変わる。困るそうに笑ってみる。
「…キスしてもいい?」
千真は嫌そうに首を横に振った。後ろに引き下がろうとする千真を掴んでキスをする。出来るだけ優しく千真の唇に触れる。舌ですり減った犬歯をゆっくり辿る。あの夜貴方がしたキスの意味が何なのかは分からない。でも今俺が千真にやってるこのキスは、きっと愛の意味を含んでいる。
翔は千真の涙を指で拭いた。